全くです。こうした、"正義中毒"は、ここ数年ますます悪化し、かなり一般化しちゃった感がありますね。私もここに、2008年、2016年、18年、19年と、似たようなこと書いてます。気になってるんでしょうね。
不特定多数の他人に対して、簡単に情報を発信できるツールが様々揃ったことにより、声の大きい(多い?)人は本当にうるさくなった。「そんなの放っとけばいいじゃん!」なことが、ミニコミだけでなく、TVやなんかもマスコミにさえも大きく取り上げられて「炎上」とか言われます。が、その"世論"を構成しているのは、ごく一部の人たちだけなんじゃないかなぁ。残りの人は、訊かれれば「そうですね」と言うだろうけど、実際、興味ないでしょ。自分ごとじゃないから、数年も経たずに忘れちゃうのでは?
「自分は正義側なんだ」「自分の意見は一般的・世間標準と同じなんだ」というのは、そんなに快感なんですかね? 安心感を生むものなのかなぁ…。そんなに人を攻撃して、何のメリットがあるのか。批判を繰り返す人って、「世の道徳を向上させるために」とか思ってるわけじゃないですよね? 「自分の意に沿わないのが嫌だ」というであれば、もうちょっと多様性と公共道徳の関係・バランスを考えて欲しいと思います。
ちょっと話題それますが、最近の "political correctness" も、私に言わせると似た状況だと思えます。そうした流れは道徳的に好ましいことだと思うけれど、それに沿わない意見の人が居てもいいと思うし、ましてや、それを理由に感情的な批判や論争になるのは、ハッキリ言ってどうかしている。「なるべく不快に思う人を少なく」するためには、ルール厳守よりも、思いやりが重要なんだろうと。
[元記事]
・他人を許せない正義中毒という現代人を蝕む病 | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準 [2020/04/27]
・岡村隆史さん“風俗発言炎上”で大バトル 擁護派、批判派、どっちも賛同できません! | 文春オンライン [2020/05/02]