元記事を拝見して、最近のNews越しに感じていた一部が少し腹落ちしました。
元記事では「過剰なリベラル」とバクっとした言い方にされていますが、私の感じ方は「寛容であることを強制される」風潮が強くなっている、かな。
人種差別や性差別、それらを用いて人を攻撃し、不快・不利益を与えることは無論断罪されるべきです。が、それが差別的な発言であっても、公共の福祉に反しない範囲で「俺はこう思うんだ」と言う人を攻撃するべきではないと思うんですよね。いろんな考えがあっても、いいじゃない? 自分の正義を人に押し付けなくてもいいじゃない?
そうした考えが気に入らないのなら、説得するなり、距離を置くなりすればいいじゃない。「絶対の正義なんて無い」という前提で、人の意見を受け入れたり聞き流したりしながら、「全体として」「民主的に」あるべき社会や風潮を醸成していくのが、liberal の理想なんじゃないかなぁ…。
そのための素養は、「多様な価値観を許容すること」だと思うんですよね。「ただ受け入れる」ってことじゃないですよ。当然、健全な化学反応はあるべき。その点、アメリカという国が最も進歩的だと思っていた、いや、今も思っているんですけど。
[元記事]
・リトル・マーメイドも叩く過剰リベラルの罪 | アメリカ | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準 [2019/01/17]
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