ノンビリ暮らそう

電脳硬化症気味な日記です。まとまった情報は wiki にあります。

2004.2.17 (Tuesday)

at 01:09  

プログラマの憂鬱   [散文・小論]

 何年かSIerをやってて、当然のように思ったことを当然のように書いてみようか。

 うちのような下請けのSIerにとって、世の中はまだまだ不景気である。よく叫ばれるのが「コスト意識」という言葉である。この言葉には様々な場面で遭遇したが、バズワードだと思うときが時々ある。

 不景気の下のシステム開発では、技術的に実現可能かどうか以前に、コストに見合うだけの対価が得られるかどうかがかなり重視される。"できること"でもコストメリットが出なければスポンサーの許可が下りない。逆に、実現される機能が同じならば、コストの小さい会社に優先して発注される。
 この営利法人レベルの構図まではいいのだが、これが技術者レベルに降りてくると、ややお寒い話となる。

 不況下の企業にとって、技術者のスキルアップとは「出来なかったことが出来るようになる」あるいは「知らなかったことを知る」ということではない。「生産性をあげる」つまり「作業に対するコストを下げる」ということである。同じ作業でもAさんは4時間で終えられるところに、Jくんは8時間かかる、というのが、スキルの差である。そして、技術者にとって不幸なのは、「単価×工数=コスト」という図式の中で、努力してスキルを上げ工数を下げても、その努力は企業としてのコスト安に吸収され、単価は上げてもらえない、というところにある。

 更に、工数を単純時間で清算する仕組みも、悲しい弊害を生む。頑張っている人間とそうでない人間に対価の差が出ない。管理職は、社員の単価決定のための定量的貢献度評価を嫌い、安易な年功序列などに頼っているからだろうと思う。確かに難しい。けれど、それでは済まされない。

 SIerであれば、更にその傾向が強い。SIにおける技術者の立場は、単なるプロレタリアに過ぎず、自らに生産物の所有が無い分、真に生産の喜びを味わうことは難しい。

 ここ何年か、この構造はスパイラルに陥っているように感じる。今のままでは、IT技術者に未来はない。

 ではなぜ技術者を続けるのか? この職業のモチベーションを支えているものは、純粋な知的探究心ではないだろうか? 言い換えるなら"オタク魂"とでも言おうか。容易に想像できることだが、やはり、"好きで"やっているSEやプログラマがこの業界を支えている。逆に言えば、そういう人間に業界の構造が甘えているとも言える。
 他業界でも、同様の傾向はあろうが、IT産業は特に顕著だと思う。

 プログラマは"無"から"有"を生み出すartistである。プログラマ自身の意識にも問題があるとはいえ、現状、正当に評価されているといえるだろうか? 優秀な人材が海外に流出するのも納得できる。誰か、なんとかしてくれよ。


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