何年も修行したベテラン寿司職人と、寿司学校に3ヶ月通った調理人とが握る寿司に、価値の差がどの程度あるか、と考えると、「修行」「忍耐」「辛抱」なんていうのは、合理性に欠けるのは間違いない。日本人以外には理解が難しい、Spiritualな領域の事象と言えるでしょう。「~~道」的な。
客からみれば、料理やサービスが全てだから、そんな背景がどうこうよりも、個人差の方が圧倒的に大きく、個人のセンスや真摯さが大事ってことになるはず。「親方肌の寿司職人が良い」っていうのは、そういうサービスを好む客がいるって話であって、本質的に良い・悪いという話にはならないはず。
超富裕層向けのサービスと、中流以下向けのサービスとで、守備範囲が違うって話もあるしね。非常に高度で微小な差に、大きな価値を見いだす人もいるだろうし、でも、そうでない人が大多数だろう。そういうことなら、そのneedsの配分で、サービスは住み分けられるだけ。
人の価値観が多様化しているのだから、多様な質のサービスがあるのは自然なことだし。
建設業とか、政治活動とか、ITの大規模プロジェクトとか、とにかく無駄が多いものはいろいろあるけれど、淘汰されずに残っているってことは、それ自体「悪」じゃない、必要とされてる、ってことなんだろうと認識しています。
[元記事]
・痛いニュース(ノ∀`) : 寿司学校卒ペーペーの店がミシュラン…店長「寿司屋なんて3カ月あれば出来る、8年の修行は無意味」 - ライブドアブログ [2016/04/22]