「大学は職業訓練校ではない」 う~ん、そうだろうとは思う。大学の授業や研究で学んだことのうち、何%が社会人になってから活きているか? 私の場合は残念なことに、ほとんど0かもしれない。(先生や友人など、人のつながりは別ですが…)
では、大学って何をするところなのか? 理想はどうあるべきで、実際どう位置づいているのか?
中学卒業生の5割が大学に入学する日本で、研究者に対してではなく、学生に対しての大学の在り方が未だによくわからない。受験・入学する際に「こういう目的で大学に進学しよう」とちゃんと考え、それを実践できている学生がどの程度いるのだろうか?
私はそこを考えなかったがために、一度入った大学を辞めた経験があったりする。
元記事にある、興味のあることを見つける場?、自分の視野を広げる場?、なんていうのは大学じゃなくてもいい、より適した場があるように感じる。
もちろん、留学生と生活できたり、一芸に特化した興味深い大学もあるでしょう。でも、ほとんどの学生にとって、就職するまでのモラトリアムでしかないのではないか。私だけか?(^^;;
もし「大学名で就職先が限られるから」なのであれば、企業の人事担当者は楽をしすぎだと思う。この何十年も何をしていたのか? 日本の会社は「入れてから育てる」慣習があるから、どんな人材であれ、かなりの補正が効いてしまう。それに頼らず、もっとちゃんと人を診る仕組みが浸透してほしい。海外の事例とか、外資とかからイイ部分を取り入れられないもんかね。
そしたら、学生に対する大学の存在意義が希薄になって、余剰な進学率が下がり、大学の自助努力によりいろいろ健全化したりしないですかね?
[元記事]
・大学は職業訓練校ではないと割り切るべきだ | 非学歴エリートの熱血キャリア相談 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準 [2018/04/04]
[追記 2018/06/22]
下記の京都学園大は、職業訓練校、それも、特定の企業に特化した教育がなされそうですよね。こういうのもアリだと思うんですよね。入学に際して年齢や国籍を問わない校風があれば更に良し。
そういえば、社会人向けの学び舎がもっとあってもいいな。
要は、多様な学校があって良くて、入学を志す者に対して、「本学では、こうした方法で、こうした内容を学べます」ってのが明確になっていればイイってことなのかな? 後は、学ぶ側の選択の問題ってことか。
[元記事]
・投じた私財100億円 永守氏が挑む「二足のわらじ」:朝日新聞デジタル [2018/06/22]