まず、元記事の朝日の記事タイトルに語弊がある。
ICANだろうが、核抑止論者だろうが、「核廃絶」を理想として目指している点では同じだと考える。少なくとも、日本の外相は最近もそういうコメントをしている。その理想に至る道筋・方法・手段に違いがあるだけだ。「ICAN=核廃絶論」ではない。
そして、ICANや核禁条約の考え方がよくわからない。
核禁条約で核兵器を倫理的にも法的にも「絶対悪」と認め合うことで各国が核を使わず、核を減らしていく方が現実的な道ではないか
が主張だとしたら、そんなお気楽な主張は無い。削減の具体策はあるのか? 百歩譲って、各国の合意の上で徐々に減らしていこうというのなら、80年代から現在に至るまで核兵器削減状況と何が違うのか? 「絶対悪」と認め合うという動機と、非経済という動機、その違いにどれほどの意味があるのか?
さらには、「核による核抑止」を否定するのなら、北朝鮮のような軍事小国やテロリズムによる核開発・核利用をどのように防止するつもりのか?
核兵器の悲惨さ・非人道性と、どうすれば核廃絶できるのかという議論は、私の拙い理解では全く別の話であり、会話が噛み合っていないように思える。 悪く考えると、印象操作されているとすら感じる。
ノーベル平和賞でそうした団体に注目が集まったことは、イイことなのかもしれないが、受賞に値するような活動ができているのかもよくわからない。
[元記事]
・「核廃絶」は理想論なのか 平和賞のICANは問う:朝日新聞デジタル [2017/12/11]