vol.21 P.78
「やはりたいした奴だッ!迷惑な言い方かもしれんが、不幸が奴を速くする!!」
「そいつは大迷惑な言い方だぜ、オールマン。奴だって、何も不幸が好きなわけじゃないし、速く走るために不幸をこしらえているわけじゃない。」
「結果として速い………たしかにそうだ。………で、なぜそうなれるか!?
五万の金で幸せな奴もいれば、不幸な奴もいる。一億持ってたって不幸な奴は不幸だ。誰だって免許取りたての頃は、100km/hのスピードでけっこう満足したもんだ。ところが今の奴はどうだ?仮にあのピーボーとかいうガキが銃で撃ったって、弾丸をふりきるような速さだぜ!………で、なぜそうなれる!?」
vol.21 P.159
……人間、苦労を重ねると小さくまとまりたがるもんだ……
人間が小さくなるからマシンがデカく見えて、マシンの力を過信する!
マシンを過信した結果は悲惨だ。本来、心を持たぬ機械は暴走しだし、人間はオロオロうろたえるだけだ!今の機械文明の背負っているリスクが、何よりもこのことを証明している。
vol.21 P.211
「いつか、きみはボクに狂気を養っているんだ、とか言ったことがあるが、ボクにはやはり、きみはなにか考えちがいをしているように思えるんだが……」
「……ほう……どこがです?」
「ルネ・ジラールの言葉をかりれば、きみは単にモデルの模倣をしているにすぎない!悲劇は演出すべきだろうか?いたずらに悲劇を演出し、それを体験したところで、それは結局、シミュレーションの上での自己満足にすぎないんじゃないか。そんなものが“純粋経験”だとも思えないし、自分を変えうるとも思えないが。」
「……なんにも、……わかっちゃいないんですね……!
モデルのない生き方なんて、世の中にどれだけあるというのです?この情報化社会にいながら、我々はどれだけ未知なる純粋体験とめぐり合えますか?例えば、身近に事件がおこったとする……となりが火事でもいい………そんな時、ボクらはいつか見たTVドラマの登場人物のように行動するでしょう?ちがいますか?それらは経験したことにはならないんですか?ひと頃の不倫ブームにのって、どれだけの男女が不倫な関係をつくったことか。これらも、まったく経験したことにはならないんですか?ひと握りの風変わりな天才なら別かもしれないが、我々凡人はモデルの模倣であれなんであれ、人生をシミュレートしてその計画にのり、生き、自分を変えるわけです。ジラールならオレも読んだことがある……たしか正確にはこう言っていたはずだ。モデルの欲望の模倣だとね!
雄馬さん、あなたの純粋な欲望ってなんです?“あいつのようになりたい”とか、“あいつのように生きたい”とか、そういった特定のモデルを想起したものではない自分自身から出た純粋な欲望、ねェ、なんです?F1ドライバーだって、ただ純粋に速く走りたいなんて思ってるバカはいませんよ。ジャッキー・スチュワートのようにとか、ニキ・ラウダのようにとか……」
vol.22 P.216
月の光が照ってゐた
月の光が照ってゐた
お庭の隅の草叢に
隠れてゐるのは死んだ児だ
月の光が照ってゐた
月の光が照ってゐた
おや、チルシスとアマントが
芝生の上に出て来てる
ギタアを持っては来てゐるが
おっぽり出してあるばかり
月の光が照ってゐた
月の光が照ってゐた
中原中也「月の光」
vol.23 P.84
…クロイ…………………
生きる……ことは……命が生きているってことは…………
ほとんど奇跡に近いことなんだな!
vol.23 P.101
たしかに、今度の知事選や参院補選では核燃推進派が勝った。力の論理、あるいは湾岸戦争のあおりで風向きが石油に依存しないエネルギーへと少しは向いたのかもしれない。
ですが、何が大切でどう生きるのが人間として正しいのか、文明という怪物とどう向き合って共存すべきなのか、そういったことを真剣に考えている人達は、まだまだたくさんいます。そして彼等は決して負けたわけじゃない。個人に負けはありません。考えること、行動することは、まだまだ始まったばかりだし、これからも永く続くでしょう。だから私は撮るんです。
人間が文明を作ったのです、だから負けはゆるされません。文明を捨てろというのじゃない、共存の方法をさぐるのです。
vol.23 P.117
なぜレースというものがあるのか、速く走りたい奴がいたからなんだ。性能のいいマシンがあったからでも、すばらしいコースがあったからでもない。誰よりも速く走りたい奴がいた………すべてはここから始まったんだ。その為のマシンでありコースでありチームでありレース界であったはずだ。
だが、そんな世界がいつの間にかシステムとして先走りをはじめる。システムは巨大化し、複雑化し、ひとつの閉鎖された生き物として存在する。その中にある我々は、もはやかけがえのない唯一無二の存在としてではなく、その世界を構成する為の、交換可能な部品としてしか、存在しない。これが文明というものの正体だ。ドライバーもメカニックもクルーたちもレース関係者もスポンサーも、壊れたマシンのパーツのように取り替えられる。システムは個人から全体を奪い取り、部品の一つとしての機能しか許さない。
この前の最終戦でワシは、命があるというのは奇跡だと思った………人が生きること、命が燃焼しているというのは全く奇跡なんだ。それを感じ取れるのは、全体としての結び付きがあるからで、決してパーツとパーツの結合ではそんな感動は生まれない。
vol.23 P.133
どうしていいのかわからないじゃと!? ふん!そんなことがわからんとは!ただ生きればいいのじゃッ! ただ黙々と生きる!それだけじゃ!
だいたい頭で考えるからわからんようになる。頭が人間の中心で、全ての決定権がここにあると錯覚しておる!誰も、頭だけで生きておる奴なんか見たこともないというのに!
レースだってそうじゃろが!?タイヤがありサスペンションがありフレームがありエンジンがありドライバーがあり全てがあってこそ走る!ちがうかや!?
vol.23 P.145
人間というものは、どんなに哀しくたって腹がへるもんじゃ……頭では死にたいと思っても、体が生きようとしている証拠だ。命とはそういうもんじゃ。頭が人の全てじゃない、胃袋も腸も手も足も、総体として人なんじゃ。その総体としての意志をまげて、頭だけで決定しようとするからこだわりが出る。奴らの命はこだわりこわばっておる!
vol.23 P.174
どんなスポーツでもハングリーってことをよく言う奴がいるだろう。オレはあの言葉が大嫌いでね………飢餓感だけで戦っていた奴は、勝利を得た瞬間満腹になって堕落していくもんさ。いつか世界チャンピオンになったボクサーで、買ったばかりのマイホームを頭の中で、くり返しながらパンチを出してた奴がいたが……オレは彼を否定はせんが愛せはしないね……戦いというのは何かを得る為にやるのじゃなく、ひたすら追い求めることそのものだと思ってるからな…………“生き方”ってやつをさ!
vol.24 P.15
「いいかい有里くん。君も小説を書くなら、こういう言葉を知っているだろう。『人生は芝居である。世界という劇場で、人間はそこに登場する俳優にすぎない』
わかるだろう、生き方に一流も二流もないのだ。それはエゴイストの自己弁護にすぎない。我々はそれぞれに与えられた役柄を演じるだけなのだ。主役も脇役も道化も悪人も、すべて等しく価値のある存在だ。」
「よくお勉強なさってますね!存在が等しく価値があるというのは同感です。でも、じゃあお聞きしますが、人生が芝居なら観客が必要ですよね。俳優には見えない全体を見わたせる観客という存在が。」
「その答えはすでにサミュエル・ベケットが出しているよ。『ゴドーを待ちながら』では、人間がいつまで待ってもとうとう神は現れなかった。我々は哀しいかな、全体を見わたせる視点や存在を欠いたさまよえる浮浪者なんだ。我々が演じているのは観客のいない芝居なんだよ。」
「そうでしょうか!?」
「ちがうかい?」
「わたしにはそうは思えません。」
「なぜ?」
「だって………観客を想起するかしないかは、選択の問題だと思うわ!そして、それは生き方の問題でしょう!?」
vol.24 P.69
人は原初的に、空間に対して憎しみを抱いています。それは二足歩行を果たした人類の宿命でもあります。
人の出生は体内にいるときの全能なる状態から、赤子という無能な状態へと、その出発から大きな挫折でもって始まります。世界を認識するということは、空間を認識することです。そして自分から………全能なる力を奪い取った犯人は世界という空間であるわけです。彼は世界という空間に対して、原初的な憎しみを抱きながら成育します。そして、いつか自分を無能にした空間に対して復讐し、あの全能感を取り戻そうと心に誓っています。山を征服し、海を征服し、領土を広げ、国を奪い合い、あるいは大きな家を建て、権力を持ちたがり、有名になることを喜び………より遠くへ、より速く、知りたがり、発見し、聴き、さわり、味わい……心理学的な立場から言えば、進歩とは空間に対する復讐であります。
だがボクはそれを否定する気はありません。それは人類の偉大な側面でもあるからです。
vol.24 P.208
「神は、あなたが必要と思うものを必ず与えてくださいます。もし与えられないのなら、それは人間の側に準備ができていないからです。」
[ ディッリー・ドゥール・ヘイ ]
vol.25 P.92
物が動くと抵抗がおこる。これまで人が生きていくのに必要で、大切だった空気が、いきなり障害となってドライバーの前に立ちはだかる。いっそ真空中であったらと考えたりもするが、それはそれで、また別の問題が起こってくる。空気がなけりゃダウンフォースも得られないしな………酸素ボンベかついで走らなきゃならねェ……
まったく速く走ろうとさえしなけりゃ、こんなことで悩むこともない。空気は人に優しく、ずっと友達のままだ………だが、人は走ることをやめない。友達を敵に回してまでも走ろうとする……人間というのは他の動物と違って、ありのままでいられない生き物なんだ。考え、工夫し、作り、壊し、書きかえ、その方法を見つけ出してゆく。空気と友達関係を結びつつも、それを制していこうとする。つまり、自然と折り合いをつけるわけだ。それが人間が作ってきた文明というものの正体だ。それを愚かしいと評するも、素晴らしいと評するも自由だ。
だが、評するのは自由だが、否定することはできない。なぜなら、それは人間そのものを否定することになってしまうからだ。一部のナチュラリストやエコロジスト達が浅薄なのは、このことがわかっていないからだ。たしかに愚かな文明というものはある。愚かな進歩というのも、またある。それは折り合い方が愚かであったということだ。
vol.27 P.194
なあ、おじょうさん………
夢なんていうのはむなしいものじゃのォ………
あの虹のようにはかなくたわいのないものじゃ………
なのに、なぜ、人はそんなものを追い求めて生きて行くのかのォ……
なぜ水のように流れるままに生きることをせんのじゃろう………
身近に人を愛し、ただ生きるために生きる……
なぜそれができんのじゃ………
vol.28 P.27
軍馬のタイムはただごとじゃない………あのマシンで、そしてF1一年目の新参者が、あんなタイムを出すってことは…………………つまり、何かをあきらめたってことだ………未来………あるいは全体としてバランスの取れた生活
レースは78周走る。サーキットを78周走ってレースだ。人の命にたとえれば78まで年をくって終わるってことだ。セブンティーンで命を散らす奴もいれば、 100歳まで持ちこたえる奴もいる。
タモツ………
大きな流れがオレ達を包んでいる。だれも止めることはできねェ。おまえもオレもオールマンそして軍馬………チームの連中、スポンサー、観客、マスコミ、全世界の人々の目………巨大な濁流のような流れが全てを押し流すかのように動いている。
人間なんて非力でちっぽけなもんだな……………
vol.28 P.137
人はなぜ世界を征服したがるのか……
ボクはこれまで………人間は世界、空間に対して憎しみを持っているのだと思っていました。それは人が生まれるのが失楽園……つまり楽園を追われることに他ならない……胎児の時の全能感からひとつの無力な赤ン坊と転落し……生まれ落ちて世界を認識するというのは、同時にまた無力な自己の発見でもあります……。ですから、あらゆる拡大に向かう欲望は、母体への回帰に繋がっていると……そう考えてきました。 ……でも、ちがうのかもしれない。
もしかしたら人は………まだまだかなり未熟で、………
もしかしたら……次へのステップの為に………
トライしているのかも知れませんね……。
vol.28 P.218
ほら見て、 今日も 虹が……