Last-modified: 2003-12-01 (月) 15:48:44 (7449d)

Good and Evil

1995/03/02

 善と悪はどう区別すればいいんだろう。

 あなたは、善と悪とを判断し、見分けることができますか。

 子供の頃は、”いいこと”と”悪いこと”がはっきりしているような気がした。しかし、それは自分で判断したことではなく、人から教えられたり、人がそう思っているから、そうなんだろうという考え方に起因したものだ。考えてみると、”これは正しい”、”これは間違っている”なんて、自分で検討、判断、決定したものは、何一つない。全てのことが、「人間が作った仮定の上で」とか「そう言われているから」などという、曖昧な条件や理由が付属する。

 果たして、世の中に「正しい事」や「悪い事」は存在するのだろうか。

 道徳というものは、時代によって様々に変化してきた。昔はいけにえや魔女狩りなんてのもあったが、人々はそれ程「悪事だ」と非難しなかったようだ。また今でも、クウェートを占領し終わったブッシュ大統領が演説を終えると、群集が歓声をあげる。人が死んでるのに。彼らは自分達が正義を行使したのだと信じて疑わない。

 また一般に「良い事」とされることでも、一部の人には良い事である事が社会にとって良い事であるとは限らない。むしろ、個人の利や自由は、全体にとって、益をなさない場合が多い。それは、「良い事」だろうか。

 こんなことを考えはじめたのは、映画「STAR WARS」を見てからだ。Episode Ⅴで主人公が共和国騎士になるための修行中に、「善と悪と、どう区別すればいいんです?」と師に尋ねると、師が「すぐにわかるようになる」と答えるのだ。それ以前まで、善悪の判断なんて単純だと考えていた僕は、かなりびっくりした。いい若者が、そんなことも出来ないのか。しかし、考えてみると、非常に難しい。いや、不可能なほどの問題であると思うようになった。この世に最初から、善と悪の区別のついた事象など存在しないのだ、と。

 「wizardry」というコンピューターゲームがある。このゲームの仮想世界では、”善”と”悪”の他に、”中性(又は中立)”というものが存在し、”善”と”悪”だけの二元論は、人間達の誤った考え方だというのである。結構、おもしろい考え方だなあと、楽しくなったのを覚えている。

 まあ、なんだかんだ言って、「正しく生きよう」とか「ワルに生きよう」とか、自分でそうしようと思っても、そう評価されるかどうかわからないわけで、僕達は、ただ黙々と生きるしかないのではないか、と、そう思う。

 だから、僕は”良い人間”でもなければ、”悪い人間”でもなく、ただの人間だ。そう考えると、何だか安心する。


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